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第一九話 『囮の資格』

 思ったよりも身体の回復は遅かったが、京助は一時間目から授業に出た。
 歩く、座る、物を持つ。そんな基本的な動きはできるが、どの動作でも力が格段に落ちていた。
 平時ならば学校の屋上まで跳躍できる脚力も、スチール缶を引き裂くほどの腕力も発揮できず、銃
弾すらかわすことのできる俊敏さは見る影もなかった。反射神経や動体視力にも影響が出ていて、今
の京助は一般人とほとんど変わらない。人形遣いに襲われたらひとたまりもないだろう。
(まあ、弱ってて危険なのは確かだけど……)
 眠気を誘う授業を受けながら京助は目だけで隣の席を見る。
 そこには正面の黒板を見て、真面目に授業を受けている響子の姿がある。
 時折、思い出したように京助の方へ視線を向けてくる。無事であることを確認するとすぐに正面に
戻る。しばらくするとまた京助の方を見て、すぐに戻す。朝からずっとその繰り返しだった。
 気が向いたら注意すると言っていたが、響子は響子なりに心配してくれているようだ。
 他人に守られている今の状況は情けないものではあるが、自分を守ろうとしてくれる人がいること
は素直にありがたかった。
(早く身体を治そう。足手まといはもう嫌だからな)
 京助は机の陰で拳を握り締めた。

       +    +    +

 眠気を誘う授業を何とか乗り切って、昼休みになった。
 教室内の生徒が外へと流れ出る中、京助に近づいてくる人物がいた。
「おはよーさん。京助」
 机に突っ伏していた京助は顔を上げて、その人物を見上げた。
「彰彦」
「ははっ。お疲れみたいやね」
 面長の顔に笑顔を浮かべて、彰彦は右手に持った物を持ち上げてみせた。
 それは三冊のファイルだった。どれも分厚く、枚数で行けば百は超えているだろう。
「会長さんからこれをお前に渡すように言われてな」
「……会長から?」
「昨日の夜、急に会長さんから電話が来てな。これ作ってお前に渡すようにって。せやけど、そんな
もん何に使うん? 見合い相手でも募集中?」
「ちょっと見せてもらってもいいか」
「構へんよ。どうせ渡すつもりやし」
 机の上に三冊のファイルを置く。
 京助はその一番上の一冊を適当にめくってみた。
「……これは」
 右上に写真が張っており、その左側には名前、生年月日、血液型、家族構成などの情報が並んでい
る。下半分には入学までの経歴やここ数日の行動などが載っている。まるで素行調査の報告書のよう
だった。
(学年……組……出席番号……)
 手に取ったファイルを置いて、別なファイルを開いてみる。載っていることはほとんど同じだった。
「これ、うちの学校の生徒じゃないか」
「そや。せやから俺も疑問に思っとんねん。そないなもんを何に使うんやってな。しかもここ数日の
素行調査までしたんやから結構大変やったわ。追加費用は覚悟しとってな」
 京助は彰彦の顔を見上げた。目が細く、表情の読み取りづらい顔だが、嘘はついていないようだっ
た。彰彦も事情をわかっていないのだ。
(この時期にこれを見せるってことは、人形遣い関係であることは間違いないだろうが……人形遣い
はこの学校の生徒ってことか? たとえそう仮定してもこれを見て何をすればいいんだ?)
 ……わけがわからない。
 首を振ると、京助は椅子から立ち上がった。
「ちょっと会長に聞いてくる」
「そか。まあ、頑張りや」
 それ以上追求はせず、彰彦はひらひらと手を振った。
 ファイルを小脇に抱えて、京助は教室から出ようとしたが、直前でふと足を止める
「今更だが、お前はこれをどうやって用意したんだ?」
 ただの一介の男子高校生にすぎないはずの彰彦に、こんな情報が集められるはずはない。いくら情
報通といっても度が過ぎている。
 京助の疑いの眼差しに、彰彦は面白がるように目を細めた。
「それも秘密や。そんなん気にしてると不眠症になるで。京助も不眠症になりたないやろ。細かいこ
とは気にせんとどーんと構えてりゃええんや」
「……」
 ひょっとすると彰彦は特殊な立場にあるのかもしれない。この学校の生徒会が特殊であるように、
彼もまた、他の生徒とは違う立場にあるのかもしれない。
 そんな考えが浮かんだが、京助はあえて口には出さなかった。
「それなら仕方ないな」
 小さく息をついて、京助はそのまま教室を出て行った。
 生徒で混雑している廊下を抜けて、まっすぐ生徒会室へと向かった。
 生徒会室の扉の鍵は開いていたが、中には……
「こんにちは、風岡君」
 机に向かって、書類の束と向き合っている薫の姿があった。
「何か問題でもありましたか? 体調が悪いのですか」
「あ、いえ、身体は順調に治ってます。問題ないです。ところで、副会長」
 室内を見回すが、会長の姿はどこにもない。
「……会長は?」
「あの人ならここにはいないようですね。いつものことですが」
 困ったものです、と言いたげに薫はため息をつく。
「急ぎの用事ですか?」
「そういうわけでもないんですが、聞きたいことがあって。ちょっと探してきます」
 薫に会釈をして、京助は生徒会室を出ようとする。
 すると、薫に引き止められた。
「一つ、頼みごとをしても構いませんか?」
「ええ。何ですか?」
「会長を見つけたら生徒会室に来るように伝えておいてください。仕事が山ほど残っている、と」
「……わかりました」
 苦笑して、京助は生徒会室を出た。

       +    +    +

 校舎の裏、体育館倉庫、資料室、図書館、など会長が潜んでいそうなところを探して回った京助だ
が、なかなか会長は見つからなかった。
「……となると、あそこしかないな」
 つい最近もそこに逃げ込んでいたので、連続してそこに逃げることはないだろうと考えていたのだ
が、違ったようだ。むしろ、京助の考えの裏をかいたのかもしれない。
 あるいは単に、高いところが好きなのだろう。
 京助は扉を開け、その場所を見回した。探すまでもなく見つかった。
「見つけましたよ、会長。やっぱりここにいたんですね」
 屋上を取り囲むフェンスに寄りかかり、会長は空を見上げていた。
 声に反応したように、会長は京助へと顔を向ける。
「おや、意外だな。京助君ならもっと時間がかかると思ってたんだけど」
「盲点でしたけどね。っていうか、この間もここに逃げてませんでした?」
「だからこそ、見つからないと思ったんだよ」
 サボっていることを悪びれる様子もなく、会長は言う。
「副会長がお呼びですよ」
「む。それは困ったな。代わりに京助君が行ってくれないか?」
「俺が引き受けると思いますか?」
 会長はやれやれと肩をすくめ。「君には思いやりが足りないね」と嘆いてみせる。
「まあ、そういうことなら僕は生徒会室に向かうけど、君の用件はそれだけかな?」
 京助は会長の目を見た。試すような、面白がっているような目をしている。
 それを見て、京助は確信した。会長はもう京助があのファイルを受け取ったことを知っている。そ
れことについて、京助が疑問に思っていることは百も承知なのだ。
「あのファイル、どういうつもりなんですか」
「どういうつもりだと思う?」
「『人形遣い』がこの学校の生徒ってことじゃないんですか」
「正解。じゃあ、なぜ僕は君にあのファイルを渡したと思う?」
「『人形遣い』を見つけるため……?」
 しかし、京助は『人形遣い』と直接対面したわけではない。いくらファイルを見ても見つけること
はできないだろう。それとも会話の内容から人物像を想像して見つけろということなのか……。
「君の言ってることは正解だけど、考えていることは多分不正解だね」
 意味がわからないことを言う。結局、どういうことなのだろうか。
 会長は「ふむ」と少し唸ると、京助の方をぽんと叩いて屋上の入り口に向けて歩き始めた。
「もうそろそろ昼休みが終わりそうだ。中に戻ろう」
「結局どういうことなんですか」
「一言で言うなら君を『囮』にするということさ」
 ようやく京助にも合点がいった。
 どうやら『人形遣い』は同じ学校の生徒である可能性が高いらしい。京助の持っている情報だけで
はそれを断定することはできないが、先日の戦闘の際に裏で薫が動いていたのか、あるいは会長の持っている別の情報網なのかもしれない。
 もし生徒の中に『人形遣い』がいるとすると、京助が生徒の調査をし始めたら平静ではいられな
いはずだ。自分が疑われているとすら思うかもしれない。特に直接戦闘をした京助や響子には『能
力者』の波長を感じ取られただけで気付かれる可能性がある。
 響子に危害を加えるのは難しいだろう。彼女は万全の状態で、かつ一度人形たちに勝っている。
 だが、一度敗北した上に手負いの京助ならば話は別だ。直接生徒を調査しているのも京助なのだか
らこちらを始末するだけでも調査を遅らせることができるだろう。
「生徒の中に『人形遣い』がいることはわかった、でも誰なのかはわからないから炙り出すというこ
とですね」
「その囮として君が一番最適なのさ。理由はわかるだろう」
「……そうですね」
 なんでもないことのように、京助は頷いてみせる。その手が硬く握り締められていることに、京助自身気付いていなかった。
 それに気付いた会長は一瞬だけ真剣な表情になったが、何も言わなかった。
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++あとがき++ 人形遣いの正体に迫っていくための手段を講じる場面、という幕間に近いお話。 バトルはお休みだけど、すぐまた新たなバトルが始まりそうな予感。 生徒会と人形遣いの戦いもいよいよクライマックスとなります。 製作期間8年というと大作だが、実際に作った時間はそんなでもないなぁ。 むしろ時間をかけて作りすぎると初心を忘れてしまったり、 キャラや設定が抜けてしまったりするので、作るならばばっとまとめて 短時間で作ってしまった方が安定したものが作れるのかもしれない……。