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第一四話 『失敗』

 既に戦いが始まってから十五分が経過していた。
 状況は五分五分……いや、ひょっとすると京助の方が不利かもしれない。
 確かに攻撃は少しずつ当たってはいるのだが、問題は体力だ。敵である猫は肉体が既に死んでいて
疲労という概念は無い。一方、京助は動けば疲れるし、疲れると動きが鈍る。
 つまり、時間が経てば経つほど京助が不利になっていくのだ。
「いい加減……当たれ!」
 一気に距離を詰め、鎌を振り下ろした。
 猫は鎌の刃先を爪で軽く撫でるだけで軌道をずらし、鎌を避ける。鎌は目標を外れて地面へ深々と
突き刺さった。京助はそれを引き抜こうとしたが、猫の攻撃が来たので避けるしかなかった。
 それが失敗だった。猫は鎌から離れた京助に向かって攻撃を仕掛けてきたのだ。空中で武器も無い
状態の京助は無防備に近かった。
 風でわずかに押し返せたものの、頬をかすってしまった。血がかすかに垂れる。
 しかし、今は痛みに気にする余裕は無い。痛みを感じる感覚さえ今は戦闘に回さねばならない。
 京助はゆっくりと構える。敵を倒す必要もあるが、まず武器を取り戻さなければならない。相手の
攻撃はコンクリートさえも抉り取るほど強力、おまけに彼の能力は素手では威力が半減してしまう。
 京助に視線を向けている猫に真正面から見返しつつ、能力を発動させる。
 辺りの風を凝縮し、刃にして飛ばした。風の刃は微かに音を立てながら急速に目標へと接近する。
 普通なら気づかないが、敵も普通ではない。風を切る微かな音で攻撃の気配を感じ取って掻き消し
てしまった。しかも、攻撃と同時に接近していた京助にも気づいて襲い掛かる。
 京助はぎりぎりまで引き付けると、素早く両手を交差させた。その際に発生した風を猫へ向かって
飛ばす。しかし当然猫はそれを避けて向かってくる。
 今の攻撃は一見失敗したかのようだが、京助は口端を微かに上げた。
「注意不足だ」
 その言葉を認識できたかはわからない。だが、猫の表情が微かに変わった。
 そして次の瞬間、猫の居た位置には鎌が刺さっていた。猫は一瞬早く跳んで攻撃を躱している。
 そう。先程の攻撃は猫を狙ったものではなかった。猫の後ろの――鎌を狙っていたのだ。調整され
た風は上手く当たり、鎌は手元へ戻ってきた。
 京助は鎌を掴むと、上空に向かって一振りした。
 鎌が空を切り裂き、風が生まれる。その風は猫に当たると、猫を遥か上空へと押し上げた。
 いくら猫が高いところから落ちても平気と言っても、流石に数百メートル上空から叩き付けられた
ら無事では済まないだろう。
 これで決着は付いた、京助はそう思った。
 その時、後ろで風を切る音が聞こえた。次の瞬間、背中から肩に掛けて激痛が走った。血飛が舞い、
腕の感覚が薄れていく。
 傷口を抑えながら鎌を振り回す。しかし、集中を乱されてしまった京助の攻撃など、素早い敵に当
たるはずが無い。風は周囲の地面を傷つけるだけだった。
 様子を伺うように京助の周りを飛ぶ敵へ向かって風を放つが、当たらない。
 そもそも、京助はこの能力を身に付けてから日が浅い。おまけに突然の攻撃と痛みで京助の集中力
は乱されていた。そのせいで能力が上手く扱えていないのだ。
「くそっ」
 二度目の攻撃が来ると思ったが、攻撃は来なかった。
 その時、背筋が凍りつくような考えが脳裏に過ぎった。
 ――あの猫はどうなったのだろう?
 あのまま落下していればかなり大きな音が鳴っていただろう。いくら集中が乱れていても間違い無
くそれには気付く。その音がいつまで経っても聞こえて来ないということは……。
「ちっ、注意不足は俺か……!」
 天を睨みつけながら京助は呟く。
 左手で鎌を構えながら肩の傷口を調べてみた。
 正体不明の攻撃は背中から右肩にかけて抉るように引っかいていた。深くまで抉れていて、鎌を振
ることはおろか、鎌を握ることすらままならない。
 一旦退くしかない。ニ対一では分が悪すぎる。しかし――
(――見逃しちゃくれないだろうな)
 恐らく敵はこのチャンスを逃さず、確実に仕留めようとするだろう。その中で敵に背を向けるのが
どれほど危険な事は京助は知っている。だから逃げない。
 戦闘態勢のまま、身体の状態を把握する。
(力は右腕使えないから半分……いや、それ以下か。集中力も切れかけてて、風も集めずらい……)
 あまりに絶望的な状況に、京助は嘆息した。
 諦めるような表情を浮かべながら空を見上げる。
 そのまま、少しの間じっと空を見ていたが、やがて視線を下げた。
「……しょうがないか」
 表情から諦めが消え、真剣なものに変わる。
 鎌をニ、三度素振りすると、京助は再び構えた。
「ここで終わらせてもらう」

   +   +   +

 そこは暗闇の中。
 外から差し込む光は全て板に遮られ、入ってこない。
 その中で一つの影が動いていた。
 その手元からは時々火花が出て、一瞬だけ明るくなる。
 ――ばちっ!
 また弾けた。
 影は何度も、何度もその作業を繰り返す。
 一分、十分、一時間――影は延々とそれを反復する。
「……」
 やがて、影は顔を上げ、机の上の何かを持ち上げた。
 胴体から四本の足と尻尾と頭がついていて、その頭からは耳が生えている。
 それはいわゆる――犬と呼ばれる生き物だ。
 犬はぐったりと影の腕に抱かれていたが、突然ぴくんと耳を動かした。
 耳が動いたのが合図になったのか身体全体がぷるぷると震えだし、とうとう飛び跳ねた。
「おはよう」
 床にしっかりと着地した犬に向かって、影は挨拶する。
 犬は一瞬だけ戸惑うような仕草を見せたが、すぐに頷いて、
「わん!」
 と吼えた。
 その様子に影も満足そうに微笑む。
「そう。君は価値あるものだ。世界が君を捨てたんじゃない。君が世界を捨てたんだ。君は世界を越
えて、新たな世界へ到達した。だから言わせてもらう――」
 そこで言葉を切り、影は(うやうや)しく一礼した。
「――ようこそ、新たな世界へ」
 犬が目を開いて、影を見る。
 影も目を開いて、犬を見る。
 憎しみと、怒りの篭った彼らの瞳は、狂気の満ちたその部屋で、ぎらぎらと輝いていた。
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++あとがき++ 京助、まさに絶体絶命。果たして生き延びられるのか―― って状況です。ありがちというか、なんというか。 でも、こういう戦闘シーンは書いてて楽しいですね。 複雑な事を考えず、動きを考えるだけで良くて。 いや、本当は動きを考えるだけでも大変ですけど、 想像するのが楽しいんでしょうかねー。 でも、戦闘って書くのは楽しいけど、読むのは大変なんだろうな。 そう考えると戦闘を減らすべきなんだろうけど、難しい。要努力だな。